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ハナもも


ハナもも

秘めたる魅力を語る。
マツ類、雑木、花ものなどに数々の樹木が登場する我がおじいさんの鉢植え界で、ザクロはその中心となる樹と考えて良いものである。
現在はほとんど見捨てられた状態で、人々の話題になることもなく,感動的な名木の登場も見られない。
秘められた多くの魅力を思うとき、何故にこの木が人々の心を捉えることができないのか、改めて考えて見たいと思う。
伝えられる所では、明治30年代の終わり喫から異協な人筑となり、それ以来大正から昭和の初期まで、40竿近くも続いたのである。
今薗残された当時の名木集にも、他の雑木類を圧して多くの名木が登場している。
ザクロが人々から奸まれた要因としては、葵事な花を咲かせる事であり、その花審にも幅広のものがあり、一重から八重、咲き分け、萩リ.牡丹瑛きと多彩であり、色彩も、赤、臼、ピンク、と大小さまざまな変化に寓んでいる。
花期は皐月の終わった後の盛夏を迎えるが.見断ほ花だけでなく、春先の芽立ちの風情は他の樹穏に見られぬ、咲く花の色によって異なり赤芽.箕芽、、青芽などの変化もあり.一段に光沢と張りのある茅立ちの味は、格別なものである。
中には芽立ちとともに膏」を着ける早咲きのものや、四季咲きとして、晩秋にも花を咲かせるものもあり.花と実成りの面からもきわめて深い味わいをもっている。
花もののさだめとして単弁咲きは、実を結び.八重咲きは実を着けないが、重台(大]摺のように.花は早咲きの八重だが.偶々一重も咲いて.実を若ける面自いものもある。
10年ほど前のことだが、日本の伝統芸能の世界に「守・破・離」という言葉があることを知った。
この言葉は芸道習得過程を示す表現なのであるが、もとは茶道の江戸千家流の祖である川上不白がいった言葉だという。
「守」は師匠について教程通りに教えられ、習得した芸をしっかり身につけて守っている段階。
「破」はそれにとらわれないで自分の芸を発展させ、創造性を働かせるようになった段階。
「離」はそれらを超越して白由奔放に芸を演じ、しかも芸の本道にははずれていない入神の芸境の段階であるという。
しかも年齢でいうならば、60歳まではひたすら「守」であり、「破」も「離」も牛ホの坂を超えてからのことと覚悟あるべきであるという。
これを知ってやっと永年の疑問を晴らすことができたのである。
芸の道は厳しくて遠い。
そして基本技術習得段階が恐ろしく永いのである。
これがプロの本質というものなのだろう。
万事が即効主義の今の世相に、このことが全てに当てはまるとは思えないが、画家はデッサンに時間をかけ、歌手は発声練習を繰り返し行ない、相撲は四股、鉄砲によって足腰を鍛える。
基本にどれだけ時間とエネルギーを投資するかが、その道で大成するかしないかの分かれ道になるのではないのだろうか。
芸能人たちの世界を見ていても、付け焼き刃の芸は、μ時は受けてもやがては忘れられてしまう。
基本を守ることは、平凡のなかに非凡を追及することである。
ボンサイの世界でも「水やり三年」などという言葉があるが、盆樹の生命を維持するための最小限の基本作業でも、一人前になるにはそれだけの経験と工夫がいるということである。
だから、見る人を感嘆させるような名品を作り出す人達の技術は、何段階にもわたる基本過程に気の遠くなるような時間と労力を投入した集積によるものなのである。
しかもボンサイは生き物なのだから、その努力には終わりがない。
「道や遠し」である。
こうした観点からわがボンサイ歴を振り返ってみると、「守・破・離」の逆コースを辿っていることを思い知らされる。
例えば「根張り・立ち上がり・幹筋・枝分かれ・葉作り」というボンサイ作りの基本過程についても、どこかに技術的な手抜かりがあって、その対応が後手に回ってしまう。
これが年数はたっていても風格に乏しい、締まりのない作品になってしまう所以である。
ボンサイ技術のプロとアマの差はここにあったのだと、今さら分かってみても詮無いことだが、永年手塩にかけ愛着に満ちた駄物ボンサイたちに囲まれて、道楽を満喫している毎日である。

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