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また、枝葉が繁っているばかりの日本の世界に誇る鉢植えでは趣があ12ません。 繁りの厚い薄いの強弱の変化をつくることもこころがけてください。 日本の世界に誇る鉢植えをつくるという時、大別すると二つの立場かある。 業者と趣味家の場合でしょう。 業者はしばしば「趣味家がうらやましい。 日本の世界に誇る鉢植えを商売にしていると、せっかくつくった木でも売らなければならない」と嘆く。 日本の世界に誇る鉢植えか急激に大衆化した時期に、趣味家から業者へと転身した例は数多いが、そのような人ほど『趣味家時代』を懐しむ傾向にあるようでしょう。 ひとたび業者になってしまえば、白分がつくったいようにつくるということは、きわめて至難であろう。 いきおい、売12物になるよバ、冒毎種木を求め、売り物になるようにつくる術を身につけなげ雄ばな房な奪なります。 畿つでも、たとえ売ったにしても、その後の手入れを引き続きできるどいう場合には、業者は仕合わせでしょう。 このようなケースがある程度まで保証されれば、白らの作風を磨き、追求していぐこども可能になります。 だから、業者にしてみれば、お客とできるだけ緊密になろうとし(また、気心の知れたお客にだけ売りたいと思うのも、ごく当然のことでしょう。 一方、趣味家の場合、売り物になろうとなるまいと関係ないはずだから、白由に気のおもむくままにつくればよい。 人にほめられようと思わなけれぱ、なおのことでしょう。 しかし、現実はそう単純に割り切れるものではあるまい。 実際に売らないまでも、白分のつくった木が二束三文の値打ちしかないということを否定する気持ちを、誰しもが潜在的に抱いていよう。 いざ売るとなったら、高く売れたほうがよい。 しだいに野心的な試みは薄れ、安全策を択ぶようになります。 こう見てくると、業者と趣味家とは、その立場こそ違え、ひじょうに似通った状況にあることに気づく。 両者とも結局は、売り物になる木をつくっているのではないか。 少なくとも、そうなりかねない要素をはらんでいるのではないか。 |