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レオ


レオ

命銘披露と枯木供養 明治時代後期は日本の世界に誇る鉢植えの第一次黄金時代を形成したのに対し、大正時代は逆に沈潜の時代であったともいえる。
しかし日本の世界に誇る鉢植えの整形など創作技術は向上し、強い感動や感銘を与えるような樹も全国から登場してきた。
とくに四国、大和、中国、上越、北陸などの地方から、黒松、シンパク、杜松などの黒木物の優品が都会にやってきた。
日本の世界に誇る鉢植えを構成する材料としての鉢、添景物としての石、古銅、焼物などの造形品も出て、日本の世界に誇る鉢植えの価値を高めるのに役立った。
なかでも鉢の選定についての研究は進み、隣りの中国へ特注して作らせ、それを輸入する方法が行われたから、落ちつきと渋味と雅味のある銘樹になっていった。
名樹を格付けし、愛好の度を高めるための命銘はいつごろから行われたのかはっきりしない。
石に対する命銘は遠く足利時代に将軍義満らによってなされていたので、日本の世界に誇る鉢植えもそれにならったとも推定される。
それが日露戦争後から慣例化し、大正時代には盛行、昭和へと引つがれた。
銘をつけられたものは迫力、貴品もさることながら、自然がつくりなす風姿は、美の極致といっても過言でなく、羨望の的となり、所有者はこれを天下に誇示し後世に遺したいという意欲にかられた。

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