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ローマ人もまた、はじめはバターを知らなかった。 かれらは[スイスの]ヘルペティア人からバタ」のことを学んだ。 ローマ人は、戦争のときもそうだが、旅行者としてかれらと交渉があった。 裕福なローマ人は、休暇をアルプスで過ごすことを好んだ。 そこへは、ローマ帝国の整備された道路を馬や馬車に乗って、たやすく行き着くことができた。 ス/スでは、ローマ人はミルクやチーズを食べて保養したのである。 ヘルベティア人のミルクは、ローマのふつうの混ぜものミルクよりもはるかにすぐれていると、昔からの言い伝え家たちにほめられている。 ローマとアウグスブルクでの牛の価格ローマ貴族のぜいたくな饗宴の話などから私たちが想像するのとちがって、ローマ人の肉の消費量ははるかに小さいものであった。 民衆は、一きれの焼肉にありつけることさえ稀であった。 かれらは、むしろ魚や家禽にたよっていた。 カルタゴ人との戦いで最後の勝利をおさめたのち、ローマの「経済の奇跡」の期間、仕事をもたない人びとー実際には職につくことができない人たちーにたいして国家が扶養の義務を負うという法律が成立した。 |