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レオ
カール大帝[七四ニー八一四年]時代に、ふつうの大きさの雄牛一匹の価格は約二〇ソリドゥスフリドゥスはコンスタンチン大帝が発行した・ーマの金貨]と決められた。
一ソリドゥス、または一シリング銀貨の購買力は約五ポンドであった。
その相対価値、たとえばギリシアのドラクマ銀貨、ローマのデナリウス銀貨、カロリング朝のソリドゥスやケルンのペニッヒ銅貨などは、一つの標準価格として、一匹の雄牛やそのほかの飼いならした動物と対照することによって、きわめて簡単に計算し、かつ現代の貨幣価 値に換算することができる。
欧州入は、ある理由から畜力農耕を知ったが、そののち長いあいだそれを実行しなかったことを示唆するものがある。
これまでは、一般に最初の家畜飼育は小アジアかエジプトで興ったといわれてきた。
ごく最近、イラクのシャニダー洞窟でヒツジの骨が発見された。
シカゴ大学のリード博士によると、そのヒツジは八五〇〇年前に飼われていた家畜型のものであるという。
いっぽう、マイリエ洞窟の牛の絵は少なくとも一万二〇〇〇年前のものである。
ここを訪れた入たちは、大昔の牛の正確な描写を見て、石器時代の芸術家がはたしてモデルもなしにこのように正確な絵を描けるものかどうか、疑問をもつにちがいない。
ところが、石器時代に、牛が端綱(すでになくなってはいるが)をつけて銅い馴らされたというたしかな証拠があるのである。
私たちは、肉や毛皮、それにたぷん乳の供給源として、馴れた動物の飼育が先史時代のある時期にはじまったということしかいえない。
けれども、あえて推察してみると、その時期は氷河期が終わってからまもなくか、あるいは中央および西ヨーロ 晶 ・パでは紀元前およ三万年前、また北マ・・バでは紀元前九〇〇〇年から八〇〇〇年ごろであ ったろう。
これを裏づける要因の一つとして、気候が暖かくなって人口がふえたため、狩りや漁で 得られる食糧では、もはや十分でなくなったことが考えられる。
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