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レオ


レオ

船乗りへの新鮮な食肉の供給一四九三年におげるコロンブスの第二回航海のあと、あらゆる種類の飼いならした動物のもっとも重要な市場は新大陸であった。

その理由はあきらかである。

船乗りと征服者たちは新鮮な食肉を、最初の開拓者たちは土地を耕すのに雄牛を、必要とした。

また、征服者の軍隊は、その荷車隊を大陸内部へ輸送するために、運搬用動物が必要であった。

飼いならした動物の輸出はこのようにして長年おこなわれたので、牛や豚の肉の価格は、スペインやポルトガルで異常な値上がりを示した。

そこで、他国からの飼いならした動物の輸人が法律で禁止されたので、農民たちの飼いならした動物小屋は空になり、肉を食べたい者は原始時代のように狩りをしなければならなかった。

すぐに屠殺されずに、将来の群れのもととして飼われた飼いならした動物は、その主人たち以上に新天地によくなじんだ。

スペイン人は、最初西インド諸島のヒスバニオラ島を所有したが、まもなく人植者たちはメキシコやそのほかのもっと魅力のある植民地へ移住したため、島の人口は減少した。

四五〇〇年前の古代インダス文明の印章には、家畜化されたスイギュウやコブ牛の紋様が見られる。

これらの動物は、ハラッパー、モヘンジョダロやそのほかのすばらしい文明をもつ都市において、すでに入間の召使になっていたのである。

インダス文明の、腕ききの「都市設計者たち」は、その当時の動物の往来についても考慮をはらっていた。

街の壁には、スイギュウやコブ牛の肩の高さのあたりに、おびただしいこすり傷が勢見されている。

さらに、もっと高く道路から優に二・四メートルもあるところに別のこすり傷も見られる。

このことは、ゾウがブユなどに刺されてかゆいところをこするため、木がないときは家の角を使つたことをあきらかに物語っている。

ナイル川[アフリカ東部]流域からの絵画や彫刻は、 エジプトの家畜についてくわしい情報を提供してくれている。

家畜舎や納屋の様式からは、動物たちがどのように飼われていたのかを正確に知ることさえできる。

これらの絵は、おそらく子どもたちの遊び道具であったと思われる。

また農業の初心者にたいする教育にも使われたことであろう。


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