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さくら


さくら

愛をもっている、だから大切に育てようとしている。
この点に関する限りは、決して植物いじめではない。
まことにお言葉のように、われわれに誹誇されるいわれはないのである。
しかし、冷静に考察してみると「自然の歪曲」という誹誇に対して、の間題に答えていない。
いいかえれぱ、「育てる面」に対しては、「生まのままの自然」よりもかえって愛をもって優遇していると反論されたが、狭まくるしい鉢の中に閉じこめて大きくさせず、針金をまきつけて仕立てるという「整形の面」については、なんら答えられていないのである。
あるいは生まのままの自然が決して幸福ではない」という意味の言葉が、その答えになっているのかも知れないが、それだけではあまりにも独善的にすぎる。
たとえば、こういう問いかけがある。
「盆栽をまったく知らないわたしのような人間が盆栽家の話を聞いてまっさきにいだく素朴な疑閾"なぜ、自然を変えながら、本当の箇然を楽しむなどというのだろうか。
「盆栽は文化的創作物の中でも、かなり奇妙なものに属している、それは一方には、いわゆる天然のままの生命が息づいており、他方にはきわめて強烈な人工灼なもの、つまり規範性の主張がふくまれている」 いずれも、盆栽の社会学」の中での池井望氏の言葉だが、盆栽を客観的にみようとする学者の声として当然といえるだろう。
どう孝えても、盆栽は植物愛から出発しながら、その植物を整形することによって完成するものだからである。
つまり、植物をいたわりながら、植物を人工的に変えるという矛盾をその作業の内部に抱いているのだ。
ただ、問題は、それを植物いじめや自然の歪曲とみるかどうか、ということだろう。
これについては「盆栽道は樹の自然的性質を察して育成が、たしかに、われわれの側からいえぱ、植物本来の性傭を蚕曲しよう一、とはしていないのだ、むしろ、その性質を生かすことによって、形をととの、足、美樹名木に昇格させようとしているのである。
いずれにしても、盆栽が「制約された自然」であることは否定できない。
われわれはそれをでき得る限り、人工的でなくやりたい、と思っているわけなのである。

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