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さくら


さくら

ところで、「縮めた形」という言葉がでてきているが、明治時代の盆栽蕗『盆栽雅報』をひらいてみても、「自然の縮図」という表現がたびたび出てくる。
当時の八々は、盆栽を「生きた絵画」として愛好し、そこに「自然毅の縮めた形」を求めようとしたのであろう。
昭和期に入ると、盆栽界にはじめて評論の分野が本格化してきたということにおいても岡期駒だが、盆栽の定義の立て方でもいっそうの深化がみられてくる。
次に有名な自然美と植物美との対比論を紹介してみよう。
「広い慧味からいえぽ、盆栽も鉢植の一種であるが、現今、園芸界をはじめ、一般に鉢植と盆栽とを区別して、盆栽を芸術品とし、鉢樋を園芸品として扱われるに到ったのである。
しからば、その区別は如何というに、これをかりに定裁的にいうてみたならば、観賞方面からの差別。
盆栽とは軍木を盆中に培養し、自然美とその憫趣とを表現するもの。
鉢植は草木を鉢に培養し、その花や葉、すなわち植物美を観賞するもの、といえると思う」。
「尺に足らぬ盆上の樹木が、これに対するものに、大樹巨木の下に立つと同じ感想を起さしめる。
また、懸崖作りの一樹は、断崖上に懸垂する老樹の趣を写し、これを見入っていれば、崖上の渓谷を思わしめ.潜々の水声さえ耳梁にある構趣を起さしめるがごとく、各掛各様、皆異なった情趣をもって、その村者をして何物かの遵想を呼び起こし、自然美の中に身をおく感興を如実にあたえ、また自然の常として四李の季節的感興をも同時に味わしめるのである」。
「なおまた、草についていえば、名も知られぬ野辺の雑草でも、これが巧みに盆養させられて自然のままの野の趣を彷狒せしめていれぱ.それは美しい花がひらかなくとも盆栽と11うことができる。
春くれぱ冬枯れの姿の株間から芽を萌えだしてさきがけの春を告げる。
われわれが早春野辺にでて冬枯れの野に萌え出す芽を目撃して、審の訪れを深刻に知ると同じ驚興を小盆上の草にうけられるし、また夏がくれば夏草の趣を出し、秋は草紅葉し、また冬枯れ行く蒲条の冬の景観をも一小盆上の雑草に知り.白然の力と季節的感興をほしいままにすることができるのである」。

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